朱厭(しゅえん) 獣がいる。そのかたちは猿のようで白い首と赤い足を持ち、名は朱厭という。これが現れると大戦がおこる。(西山経二の巻)
雍和(ようわ) 獣がいる。そのかたちはサルのようで赤い目と赤い喙(くちさき)を持ち、黄色い体をしている。名は雍和といい、これが現れると国に大騒ぎがおこる。(中山経十一の巻)
※『山海経』 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
※『ハヌマンラングール』 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

哺乳綱霊長目オナガザル科ハヌマンラングール属に分類されるサル。本種のみでハヌマンラングール属を形成する。
オス51-78cm、メス41-68cm。尾長69-108cm。体重オス8-20kg、メス5-17kg。メスよりもオスの方が大型になる。全身は灰褐色の体毛で覆われる。顔や四肢の甲では黒い皮膚が露出している。体形や四肢も細長い。
ハヌマン(ハヌマーン)はインド神話ラーマーヤナに登場する神で、本種の形態がハヌマーンを連想させたと思われる。ラングールはサンスクリット語で「痩せたサル」の意。
子殺し しかしハヌマンラングールを一躍有名にしたのは、「子殺し」が初めて確認されたサルだからである。
リーダーが交替すると、新しいリーダーのオスが1歳以下の子を殺す「子殺し」が観察されている。子を殺されたメスはまもなく発情し、オスと交尾する。しかし、複数の成獣オスがいる群れも確認されている。
「子殺し」は動物界のおいてそれほど稀有な行動パターンでは無く、しばしば起こる行動である。類人猿でもゴリラ、チンパンジーなどで確認されている。
※『子殺し』 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
# by syoya44 | 2007-10-27 19:28
ハヌマーン このインドの神がアジアにおける猿神のルーツの一つである事は、間違いだろう。
恐らく日本の「猿田彦」もこの神がモデルと思われる。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8C%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%B3 ハヌマーン( Hanumān)は、インド神話におけるヴァナラ(猿族)の1人。風神ヴァーユの化身であり、ヴァーユが猿王ケーシャーリーの妻アンジャナーとの間にもうけた子とされる。ハヌマット(Hanumat)、ハヌマン、アンジャネーヤ(アンジャナーの息子)とも。
ヒンドゥー教の聖典ともなっている叙事詩『ラーマーヤナ』では、ハヌマーンは猿王スグリーヴァが兄ヴァーリンによって王都キシュキンダーを追われた際、スグリーヴァに付き従い、後にヴィシュヌ神の化身であるラーマ王子とラクシュマナに助けを請う。ラーマが約束通りにヴァーリンを倒してスグリーヴァの王位を回復した後、今度はラーマ王子の願いでその妃シータの捜索に参加する。そして羅刹王ラーヴァナの居城、海を越えたランカー島にシータを見出し、ラーマに知らせる。それ以外にも単身あるいは猿族を率いて幾度もラーマを助けたとされており、その中でも最も優れた戦士、弁舌家とされている。
今でも民間信仰の対象として人気が高く、インドの人里に広く見られるサルの一種、ハヌマンラングールはこのハヌマーン神の眷属とされてヒンドゥー教寺院において手厚く保護されている。中国に伝わり、『西遊記』の登場人物である斉天大聖孫悟空のモデルになったとの説もある(これについては中野美代子『孫悟空の誕生 ― サルの民話学と「西遊記」』(1980年 ISBN 4006020503)が参考になる)。


# by syoya44 | 2007-10-26 01:08
挙父(きょほ) 獣がいる。そのかたちは禺のようで模様ある腕と豹の尾を持ち、よくものを投げる。名は挙父。 (西山経三の巻)
※『山海経』 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%B5%B7%E7%B5%8C※『ドゥクラングール』 出典:Pygathrix nemaeus - Animal Photobook
http://animal.hadzuki.com/Animalia/Chordata/Mammalia/Primates/Cercopithecidae/Colobinae/Pygathrix/Pygathrix_nemaeus/index.html
ドゥクラングールは、熱帯雨林およびモンスーン林に10頭程の群れで生活しています。リーフイーター(葉喰いザル)の仲間で、木の葉や果物などを主食としています。南方に分布している脚の黒い亜種と区別してアカアシドゥクラングールとも呼ばれます。ベトナム戦争の時に、米軍によって散布された枯葉剤によって生息地の大半を失って数が激減したと言われており、生存が極めて危険な状態にあります。
写真 『漆黒の瞳』 は、よこはま動物園(ズーラシア)のパンフレットなどにもよく登場するおしゃれなサルを撮影したもの。際立って鮮やかな色彩のお顔の中にある吸い込まれそうな真っ黒な瞳が印象的でした。さすがズーラシアの『顔』になるだけあって、たいへんな器量良しです。
# by syoya44 | 2007-10-17 08:17
(そくそ) 獣がいる。そのかたちは禺(サル)のようで鬣があり、牛の尾をしており、模様のある前足と馬の蹄を持ち、人を見ると叫ぶ。名はソクソといって、 鳴くときは自分の名前を呼ぶ。 (北山経一の巻)
※『山海経』 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%B5%B7%E7%B5%8C※『シシオザル』 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%82%B6%E3%83%AB
シシオザル(獅子尾猿、Macaca silenus)は、哺乳綱霊長目オナガザル科マカク属に分類されるサル。特定動物。(ワンダルー)
▼分布インド(西ガーツ山脈の山脈沿い)
▼形態体長約55㎝。側頭部に鬣状に体毛が伸長する。尾の先に房状の体毛が生えライオンに似ていることからその名がついたらしい。
▼生態広葉樹林に生息する。10-20頭からなる小規模な群れを形成する。
食性は雑食で果実、種子、昆虫類等を食べる。
▼人間との関係開発で棲みかの木々が伐採されたことが減少の原因と考えられている。
生息地周辺に住む人々の80%がヒンズー教徒であり、ヒンズー教では猿は神聖な動物として多くの人々の信仰の対象になっていることから、シシオザルは大切に扱われている。
# by syoya44 | 2007-10-15 23:06
梟陽国人(きょうようこくじん) 梟陽国は人面で長い唇、黒い体に毛がはえており、踵は反対に反りかえっている。人が笑うのを見て笑う。これを捕らえるには左手に竹の管を持つといい。 (海内南経)
(かんきょのひと) 南方にカンキョの人がいる。人面で長い唇、黒い体は毛におおわれていて、踵が反りかえっている。人が笑うのを見て笑うのだが、笑うと唇が顔を おおってしまうので、出会ってもすぐに逃げ出せる。(海内経)

海内南経と海内経で呼び名が異なるが、その特徴からして同じものの記録であることがわかる。『山海経』の作者は辺境の小数民族のように紹介しているが、その性質からいってサルの一種ではないかと思う。
このうち、唇が長いこと、良く笑うことは、サルが敵を威嚇するときに見せる表情のことだろう。
マンドリルなどが、その候補に上がるのではないだろうか。
※『山海経』 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%B5%B7%E7%B5%8C※『マンドリル』 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%AB
オスの体長80cm程度、尾長9cm程度、メスはオスの半分程度の大きさである。赤い鼻、青い頬、黄色いあごひげという特徴的な顔の模様は、メスよりもオスの方が色鮮やかである。灰色がかった体毛をもつが、尻には毛が生えていない。オスの尻は鮮やかな青紫色をしており、陰茎は赤色で、陰嚢は紫色をしている。このような派手な色彩は、昼間でも暗い熱帯雨林のなかで仲間を見分けるのに役立つと考えられている。
# by syoya44 | 2007-10-11 23:39
狌狌(しょうじょう) 獣がいる。そのかたちは禺(さる)のようで、白い耳があり、伏して歩き、人のように走る。その名はショウジョウ。これを食べると良く走れるようになる。(南山経一の巻)
ショウジョウは人の名を知る。この獣は豕(いのこ)のようで人面、帝俊を葬った地の西にいる。(海内南経)
獣がいる。人面で、名は猩猩(しょうじょう)という。 (海内経)

『山海経』に登場する『狌狌』はオランウータンだと推測される
※『猩猩』 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%A9%E3%80%85※『山海経』 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%B5%B7%E7%B5%8C※『オランウータン』 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%B3
オランウータン 猩々(しょうじょう)は、類人猿の一種。身長115~137㎝で植物食。マレー語で「森の人」を意味する。Orangが「人」、Utanが「森」である。なお、別名にショウジョウがあるが、これは中国の伝説の動物猩猩から来たものである。
他の類人猿がアフリカを生息地とするのに対し、本種は東南アジアのスマトラ島とボルネオ島の熱帯雨林にのみ生息する。現在東南アジアの熱帯雨林は急速に面積を失っており、絶滅が危惧されている。
# by syoya44 | 2007-10-10 12:39
猿神出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

猿神(さるがみ)は、日吉神などの太陽神の使者とされる猿の化身、及びそれらが神的な部分を失って妖怪化した物の総称。
猿神信仰猿が太陽神の使徒としての神格を持った理由は、猿は太陽が昇り始める前に声をあげて騒ぎ出すといわれることから、猿に太陽を抑える役目が与えられたものといわれる。また、昔から蛇や狐と同様に猿もまた農業神のひとつ、もしくは山神などの山に関連する棲む霊的存在と考えられていたらしく、そうした民間信仰や猿の習性が日吉神社の信仰と結びつき、猿神という存在が生まれたと考えられる。
少なくとも7~8世紀には、山神としての猿神信仰は広まっていたようで、中世の頃には日吉神社の使徒としての猿神の地位が確立していたものとされる。
妖怪の猿神猿神は神の使者とは言え猿の化身であり、無慈悲な面のある猿神もおり、神的な部分を失い妖怪化した物が多いとされる。そうした猿神たちは日本各地の山々に棲み、山神としての地位を振るって人間の生け贄を要求するといわれた。
平安時代後期の説話集『今昔物語集』によると、身長2m以上で、生け贄が捧げられると百匹ほどの猿を引き連れてやって来た。しかし、若い猟師にあっさりと退治されたという。
# by syoya44 | 2007-10-10 01:59
■川猿(かわざる)
猿と言うよりカワウソや河童などの水辺に棲む妖怪に近い。魚が好きな妖怪。
■棲息地 川
■食 物 魚
■性 格 おくびょう
■分 類 河童系
■メ モ 狐のように人を化かしたりする。魚の臭気がある。性格は臆病だが、川猿に遭った馬は 疫病にかかって死んでしまう。名前に「猿」とついているが、猿と言うよりカワウソや河童などの水 辺に棲む妖怪に近い。

※水木しげるの妖怪ワールド 『妖怪大全集』より引用
http://www.top-page.jp/site/page/mizuki/complete_works/list/ka003/
# by syoya44 | 2007-10-09 07:23
白面猿猴(はくめんえんこう)
『封神演義』(ほうしんえんぎ)とは、中国明代に成立した小説。『封神伝』『封神榜』『封神榜演義』ともいう。ちなみに榜とは立て札のことである。
『封神演義』に登場した珍獣。
伯邑考が姫昌の幽閉を解くために紂王と妲己に献上した家宝。
七香車は自動車のようなもので、醒酒氈はこの上に横になるとすぐに酔いが覚める。
白面猿猴は歌って踊れる世界に1匹だけの白い猿。白猿は妲己に襲いかかったため、おそらく殺されたと思われる。
多分、「白変種」の「ピグミーモンキー」ではないだろうか。

※『白変種』 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%A4%89%E7%A8%AE白変種(はくへんしゅ)とは、正常な遺伝情報により、体毛・羽毛・皮膚等が白化した動物の個体をいう。メラニンに係わる遺伝情報の欠損により白化したアルビノとは異なる。 代表的な白変種としては、南アフリカで野生での生存が確認されているホワイトライオンや、インドのホワイトタイガーが有名である。
【訂正】
白面猿猴を「ピグミーモンキー」ではないかと書いたが、「シロテテナガザル」の可能性が高い。
幼児期は白い毛をしている。


※『シロテテナガザル』 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%8A%E3%82%AC%E3%82%B6%E3%83%AB熱帯雨林に生息している。体長45-90cm。樹上生活者であり、長い腕で「枝わたり」(ブラキエーション)をして林冠を移動して生活する。
1夫1妻で、子供を含めた4頭程度の群れを形成している。テナガザルは歌を歌うことで知られている。主にカップルのオスとメスが交互に叫びあいながら、複雑なフレーズを取り混ぜたデュエットを行うのである。種によっても異なるが、歌は2時間程度続けられることもある。この歌は家族間の絆を深めたり、他の群れに対してなわばりを主張したりすることに役立っていると考えられる。この歌い方は、種によってそれぞれ特色があるため、歌を聞き分けることにより、種の判別が可能である。
# by syoya44 | 2007-10-06 01:17
※東奥日報 2007年10月2日(火) より転載
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2007/20071002111914.asp 国の天然記念物「北限のサル」の管理指針となる「特定鳥獣保護管理計画」の見直し案を検討している下北半島ニホンザル対策評価科学委員会(委員長・青井俊樹岩手大学農学部教授)は一日、県が本年度末に策定する第二次管理計画案について協議し、農作物に被害を与えるサルを新たに捕獲対象とすることを了承した。現在の管理計画では、人間に危害を与えるサルに限り捕獲可能だったが、サルの増加や住民の要望を背景に、来年度からは捕獲のハードルが下げられることが確実となった。
同日、県庁で開かれた科学委員会には、専門家や行政の担当者で構成させる委員と、県や市町村の関係者ら約二十人が出席。非公開で会議を行った。
終了後、青井委員長は報道陣の取材に対し「これだけ農作物被害が発生して、住民の苦情が出ている現状では、捕獲はやむを得ないと感じている。他の委員からの反対意見も出なかった」と述べた。
また、農作物被害を与える群れザルを対象に、捕獲することで群れの大きさを調整する
「個体数調整」を認めたが、群れ全体の捕獲には慎重な意見が相次いだという。
一方、市町村の捕獲申請に対する判断は、これまで科学委員会の協議が必要だったが、市町村に委ねることとした。
現在の管理計画は二〇〇四年度から実施。北限のサルと人間の共存を目指して、人的被害を与えたサルの捕獲を認め、同年度、天然記念物指定後としては初めて
サル十三匹が捕獲、薬殺処分された。
しかし、県自然保護課の調査によると、同計画の策定段階では千匹前後だった下北半島のニホンザルが、
〇五年度には千三百二十三匹に増加。むつ市や大間、佐井、風間浦の各町村で
畑を食い荒らす被害が絶えず、農作物被害を与えたサルの捕獲も認めるよう住民の要望が高まっていた。
県は科学委員会の意見を基に第二次管理計画案を作成し、十月下旬にも開く下北半島ニホンザル保護管理対策協議会に提出。県民の意見を聴きながら、来年二月の県環境保全審議会に諮問する予定だ。
# by syoya44 | 2007-10-02 14:21
インスタント占いツクレール
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http://u-maker.com/『猿占い』
自分の中の隠れた猿を暴露しちゃいます
http://u-maker.com/6831.htmlわたしの占いの結果です(;´▽`A``
○○○○さんはモンチッチ です!
モンチッチさんのあなたは、勤勉、実直なタイプ。大胆な行動はほとんど取らず、基本をはずさず、一歩一歩進んでいきます。まさに、師範的ともいえるでしょう。浮ついたことが嫌いでまじめなので、周りからは信頼できる人と思われています。つまずくと、考えすぎてしまうところがあります。そういう時は気分転換をして、一度問題から離れてみると、妙案がわくでしょう。
# by syoya44 | 2007-10-01 23:11

鳥山明著 『ドラゴンボール』 より 「孫 悟空」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
◎孫悟空(そんごくう、Sūn Wùkōng)
道教の神。小説西遊記の主要登場人物の一人として有名。香港をはじめ、台湾や東南アジアでは一般に齊天大聖(せいてんたいせい)と呼ばれ、信仰されている。別名は孫行者。
西遊記に登場する妖仙であり、現実には崇拝され道教の神でもある。西遊記の原型となった雑劇などの書作品での通称は猴行者、あるいは通天大聖などさまざまな名前で呼ばれているが、孫行者の名に落ち着いた。日本でよく知られた孫悟空は諱であり避諱により当時の中国では一般には使用されない。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
◎キンシコウ【金絲猴:ズーラシア】

オスの体長70cm程度、尾長70cm程度、メスはオスの半分程度の大きさである。オレンジ色の長い体毛をもつ。青白い顔にはつぶれたような形の特徴的な鼻をもつ。
キンシコウは、中国西部、チベットの山間部の森林に生息している。1頭のオスと数頭のメスからなる群れを形成する。これをユニットと呼び、数ユニットが集まって、さらに大きな群れをつくることもある。
果実、種子、木の葉などを食べる。雪深い冬の間は、ヤナギ、クルミなどの木の皮が食糧となる。ウシなどと同様、胃の中に植物繊維を分解する微生物がおり、そうしたエサでも栄養に変えられることが、冬の高山でも生きていける理由だといわれる。また、この微生物が繊維を分解する際、発酵熱といわれる熱を発する。この熱を利用することで氷点下の寒冷地でも体温維持しているという。
妊娠期間は約200日。通常、1子を産む。
# by syoya44 | 2007-09-28 20:05

手塚治虫著 『火の鳥 黎明編』 より 「猿田彦」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
◎サルタヒコ
邇邇芸命が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。その神の鼻長は八咫、背長は七尺、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという姿であった。そこで天照大神と高木神は天宇受売命(あめのうずめ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。その神が国津神の猿田彦で、邇邇芸命らの先導をしようと迎えに来たのであった。
邇邇芸命らが無事に葦原中国に着くと、邇邇芸命は天宇受売神に、その名を明らかにしたのだから、猿田彦を送り届けて、その名前をつけて仕えるようにと言った(日本書紀では、猿田彦が天鈿女命(あめのうずめ)に自分を送り届けるように頼んだとなっている)。そこで天宇受売神は「猿女君」と呼ばれるようになったという。猿田彦は故郷である伊勢国の五十鈴川の川上へ帰った。
猿田彦は伊勢の阿邪訶(あざか。旧一志郡阿坂村(現松阪市))の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死ぬ。この際、海に沈んでいる時に「底どく御魂」、猿田彦が吐いた息の泡が昇る時に「つぶたつ御魂」、泡が水面で弾ける時に「あわさく御魂」という三柱の神様が生まれた。
倭姫命世記(神道五部書の一)によれば、倭姫命が天照大神を祀るのに相応しい地を求めて諸国を巡っていたとき、猿田彦の子孫である大田命(おおたのみこと)が倭姫命を先導して五十鈴川の川上一帯を献上したとされている。大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、代々伊勢神宮の玉串大内人に任じられた。
# by syoya44 | 2007-09-21 23:51

정반파지인의 물건을 연기할 수 있고, 정도는 금1각유홍의 후가 분장하는 것을 씹고, 별로 반도둑을 연기할 수 있는 집은 등을 한다.
# by syoya44 | 2007-09-14 00:40
縄文時代のサルの土偶 (青森県弘前市裾野)
青森県弘前市内の裾野遺跡からでてきた土人形(土偶)には細い棒で穴をあけた文様(刺突紋)が入っている。
この土偶を下から見た実測図を見ると、尻尾とニホンザル(マカク類)に特有の尻だこがあり、メスの生殖器が形作ってあり、乳房もある。
さらに脇の下に穴が空いており、ぶら下げて使ったと思われる。
# by syoya44 | 2007-09-03 22:49
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニホンザルは、哺乳綱 サル目 オナガザル科 マカク属に属するサルの一種。日本列島の固有種である。体長は50~60cmくらい。雌より雄の方がやや大きい。
同じ仲間にくらべて、尾が短いのが特徴である。また、顔と尻が赤い。日本ではサルの顔や尻が赤いのは当たり前だと思われているが、これは実際にはニホンザルの特徴である。



分類
界 : 動物界 Animalia
門 : 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
綱 : 哺乳綱 Mammalia
目 : サル目 Primates
亜目 : 真猿亜目 Haplorhini
下目 : 狭鼻下目 Catarrhini
上科 : オナガザル上科 Cercopithecoidea
科 : オナガザル科 Cercopithecidae
亜科 : オナガザル亜科 Cercopithecinae
属 : マカク属 Macaca
種 : ニホンザル M.fuscata
学名
Macaca fuscata
和名
ニホンザル
英名
Japanese Macaque
# by syoya44 | 2007-08-07 00:49
貧乏が去る
(猿)像
JR九州佐世保線佐世保駅に株式会社ハドソンは、同社のゲームソフト「桃太郎電鉄」
シリーズのキャラクタをモチーフにした「貧乏が去る
(猿)像」を寄贈した。
「貧乏が去る
(猿)像」は、「貧乏神」が「去る
(猿)」というゴロ合わせから名づけられており、
「桃太郎電鉄」に登場するお邪魔キャラクタの「貧乏神」の頭の上に
猿を乗せている。
石像の高さは1.3メートル、重さは1.65トン。台座は腰掛けられるようになっており、
待ち合わせスポットとして利用できる。
# by syoya44 | 2007-07-15 13:20
須弥山石
客を迎える庭園の噴水施設。重要文化財。高さ2.3m。3段分出土しているが構造上足りない。下段に水が出る穴が開けられている。

石人像
重要文化財。石神遺跡から出土。庭園の噴水。杯を持った男性の横に女性が腰掛けている。道祖神とも呼ばれる。
男性は衣装が異国風。顔の様子から年配と見える。持っている杯から水が出る仕組み。杯の下が欠けているので枝分かれした孔が見える。
女性はスカートをはいて筒型の上衣を着ている。男性にそっと手を寄せている。口から水がでる。
# by syoya44 | 2007-07-03 19:43
飛鳥坐神社の猿石
奈良県高市郡明日香村飛鳥
境内に祀られた、無数の陽石群の一つ。
サルに似たヒョウキンな表情から、猿石と称される。


飛鳥坐神社
奈良県高市郡明日香村に鎮座する神社で、鳥形山という小山の上に建っています。大字は「飛鳥」、小字は「神奈備」です。
祭神は、事代主神・飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈留美神)・大物主神・高皇産霊神ほか多数といったところです。
社伝によると、飛鳥坐神社の創建過程はだいたい次のとおりです。
神代、天上界にいる高天原の神々(天津神)が、地上界たる葦原中国に降臨して、地上界も天津神が治めようとしました(『記紀』の「国譲り神話」)。
葦原中国には国津神と呼ばれる、地上界の神々がすでにいました。その統領だった大国主神は、天津神側のその申し出を承諾し、自らの治めていた地上界を譲ることに決めました。
その代わり、自分は出雲に社を建てて、出雲だけは自分の手で治めておきたいと願い出ました。さらに、自分の息子である事代主神と娘の賀夜奈留美神(カヨナルミノカミ)をまつる社を飛鳥に建てて、飛鳥・皇室の守護神としてほしいと願い出たのでした。天津神側はこれを承諾し、大国主神は現在の出雲大社に奉祭され、子供達の事代主神・賀夜奈留美神は飛鳥神奈備に奉祭されることとなったのでした。
この事代主神・賀夜奈留美神が奉祭された「飛鳥神奈備」こそが、元々の飛鳥坐神社だったといわれます。それが829年、神託によって飛鳥坐神社は飛鳥神奈備から現社地の鳥形山に遷座します。
# by syoya44 | 2007-06-24 11:16
庚申信仰(こうしんしんこう)
道教の伝説に基づくものである。
人間の頭と腹と足には三尸(さんし)の虫がいて、いつもその人の悪事を監視しているという。三尸の虫は庚申の日の夜の寝ている間に天に登って天帝に日頃の行いを報告し、罪状によっては寿命が縮められると言われていた。そこで、三尸の虫が天に登れないようにするため、この夜は村中の人達が集まって神々を祀り、その後、寝ずに酒盛りなどをして夜を明かした。これを庚申講という。庚申講を3年18回続けた記念に建立されたのが庚申塔で、今も各地に残っている。
日本には古くから伝わっていたものと考えられており、『枕草子』にも庚申講の話が登場する。江戸時代に入ってから、民間にも広まった。庚申信仰は今では廃れたが、親睦会などに名前を変えて今でも庚申講を行っている地方もある。
仏教では、庚申の本尊を青面金剛および帝釈天に、
神道では猿田彦神としている。これは、庚申の「申」が猿田彦の猿と結び付けられたものと考えられる。また、猿が庚申の使いとされ、庚申塔には「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が彫られることが多かった。山王信仰(三猿信仰)もここから生まれたとされている。十支:庚(こう、かのえ)=金の兄
十二支:申は「呻」(しん:「うめく」の意味)=猿
庚申(かのえさる、こうしん):干支の組み合わせの57番目
三尸
三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいる虫。
上尸・中尸・下尸の三種類で、上尸の虫は道士の姿、中尸の虫は獣の姿、下尸の虫は牛の頭に人の足の姿をしている。大きさはどれも2寸である。また、人間が生れ落ちるときから体内にいるとされる。庚申に眠ると体から抜け出し、天帝にその人間の罪悪を告げ、その人間の命を縮めるとされることから、庚申の夜は眠らずにすごすようになった。一人では夜を過ごすことは難しいことから、地域で庚申講とよばれる集まりをつくり、会場を決めて庚申待ちが行われ、回数を重ねると庚申塔という碑が立てられた。
上尸(じょうし)=彭侯子(ほうこうし)
中尸(ちょうし)=彭常子(ほうじょうし)
下尸(げし)=命児子(めいこし)
# by syoya44 | 2007-06-17 11:43
猿の石像 (仁比山神社)
佐賀県神埼市神埼町仁比山的
本殿裏の岩の間から、飲むと健康に良いというご神水が湧き出ていて、それを守るかのように猿の石像がある。心の中で念じながら石像にご神水をかけると、願いが叶うという。

仁比山神社の御田舞(にいやまじんじゃのおんだまい)
13年毎の申歳の4月初申の日から二の申までの13日間に限って行われる仁比山神社の大祭「御田祭」において、境内に設けられた本舞台と、下宮の仮舞台で演じられ奉納される。出演者は、「御田役者」といわれ、勅使1名、トゾウ1名、座奉行2名、鼓6名、太鼓2名、田打6名、種蒔1名、代踏1名、鬼舞2 名、稲荷1名、稲童6名、鉞渡2名で、古くは勅使従者7名、行事1名を加えた総勢48名とされていた。
勅使の指示でトゾウが舞台を3周して、舞を促すと、座奉行はじめ役者が定位置につく。鼓打が御田歌に合せて鼓を打ち、田打が鍬と扇子を持ち謡う。稲荷が種蒔に福桶を渡すと、勢いよく四方に種籾をまく。再び田打が立って歌に合せて田を打つ所作をし、次に代踏と稲童により、苗代拵えと田植えの所作がなされ、代踏、鼓、稲童により華やかな大空の舞となり、最後は御田歌にあわせて静の舞から一転して、激しい鬼舞となる。
# by syoya44 | 2007-06-12 21:30
申石 (庄屋の浜)
山口県熊毛郡上関町大字長島
戸津の東側「庄屋の浜」の防波堤に近くにある巨石。見たまま猿の頭部似ているため、地元では「申石」と呼ばれる。地元では或る伝説と共に親しまれている。
昔、女の子が行方不明になり、その子の草履が石の裂け目に挟まれていたという事から「食われたのでは…」と言う。
「人形石」という別名を持つその岩は、その昔は山の上にあって、三度その居場所を変え、今に至る。

# by syoya44 | 2007-06-10 21:38
人頭石 (光永寺)
奈良県高取町大字観覚寺
光永寺は、浄土真宗本願寺派のお寺。その境内には、高さ1メートルほどの人の頭の石像物があります。あすか石という明日香の花崗岩を使い、顔の左側だけ彫刻されています。
作られた年代や由来に関する資料や言い伝えなどは全くないそうですが、和50年代初頭の奈良県立橿原考古学研究所や関西大学の網干善教教授(現・名誉教授)の調査によって、7世紀中頃のに作られた貴重なものだということが分かりました
顔の形はエキゾチック。松本清張の小説“ペルセポリスから飛鳥へ”の中で、ペルシャのゾロアスター教文化と飛鳥との関係が取り上げられていますが、この人頭石も、ペルシャ文化の影響が入っているのではとも考えられています。
石の右側は削ってもおらず、切り落とされた感じのまま。何故左側だけかは謎です。
また、頭の上は窪みが付けられていて、手水鉢として使われていたようです。



光永寺
# by syoya44 | 2007-06-08 22:22
和歌山県和歌山市伊太祈曽
◎お猿石
古くから境内にあり、その霊験が著しく参詣者は本殿参拝の前に石に手をあてて心気を鎮めます。特に泉州方面の方々の信仰が篤く、首より上の病に霊験が著しいと言われています。


◎伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ )
御鎮座の時期については詳らかでないが、『続日本紀』の文武天皇大宝2年の記事が初見になる。古くは現在の日前宮の地に祀られていたが、垂仁天皇16年に日前神・国懸神が同所で祀られることになったので、その地を開け渡したと社伝に伝える。その際、現在地の近くの「亥の杜」に遷座し、和銅6年に現在地に遷座したと伝えられる。
五十猛命(いたけるのみこと、別名 大屋毘古神)を主祭神とし、左脇宮に妹神の大屋都比賣命(おおやつひめのみこと)、右脇宮に同じく妹神の都麻津比賣命(つまつひめのみこと)を配祀する。いづれもスサノオの子であり、木の神として信仰される神である。
# by syoya44 | 2007-06-06 20:34
長崎県壱岐市芦辺町箱崎諸津触
壱岐島北東部の男岳山(おんだけさん、160メートル)の頂上にある男岳神社の拝殿脇に、こけむした石猿群がずらり並んでいる。
石猿の数は二百三十余体。この山は昔から信仰の山として知られ、全島から崇拝の対象となっている。石猿をあげる風習はそう古いものではない。祭神が猿田彦の関係と思われる。
石猿はみな同じ構図のようだが、よく見ると神妙な表情、ユーモラスなポーズとさまざま。「願成就」の文字が台座に刻まれている。子どもを抱いているのは子宝に恵まれたお礼か。大病が治った願成就もあるだろう。
# by syoya44 | 2007-06-05 21:12
檜隈坂合陵(ひのくまのさかあいのみささぎ)、平田梅山古墳
奈良県 高市郡明日香村大字平田字ムメヤマ(梅山)
近鉄飛鳥駅から徒歩7分、第29代の欽明天皇の御陵です。吉備姫王墓側から見ると右側(東側)が後円部、左側(西側)が前方部になります。今は大きな前方後円墳ですが、この形は幕末の修陵事業によって捏造されたものでそれまでは双円墳だったと言われています。そこで、多くの考古学者は真の欽明天皇陵を見瀬丸山古墳であるとしています。
このような大型古墳は普通、遠望がきく丘や尾根の上に築かれているのに少し様子が違っています。この古墳は東西に長い丘陵の南の斜面をコの字形に切り取って作られています。
下の写真は西側から見下ろすように撮ったものですが、東北西の3方はカットした丘陵で南側だけが開けた平地になり川が流れています。この地形は風水思想の影響を受けて作られたものと考えられており、これ以降登場する終末期古墳との接点になるものとされています。


# by syoya44 | 2007-06-04 02:05
継体天皇と手白香皇后(たしらかのひめみこ)の間の息子である。宣化天皇が、身罷った時に、安閑天皇の皇后である山田皇后を推薦したが、これは辞退されたためまだ若い欽明天皇が12月5日に即位した。宣化天皇の皇女石姫を皇后とし敏達天皇を儲けたほか、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の父でもある。
なお、継体天皇の死後、安閑天皇、宣化天皇の朝廷と欽明天皇の朝廷が並立していた、あるいは内乱があったという説がある(「辛亥の変」説)。また、実際には即位していない安閑・宣化をそれぞれ暗殺、監禁させた後即位し、彼ら庶兄を後継に推した大伴金村を追放した説がある。
この代に、百済より仏教が公伝し、任那が滅亡した。
552年に百済から仏像と経文が伝来する(仏教伝来そのものに関しては、538年とする説が有力である。)。これによって、廃仏派の物部氏と崇仏派の蘇我氏の間で対立がおこり、物部氏は寺を焼き、仏像を投げ捨てる事までした。これにより物部氏と蘇我氏の間の確執が始まる。
百済の聖明王(『三国史記』では聖王、中国の正史では諱を明とすると書かれている)の間とは541年より任那の復興について協議していたが、戦況は百済側に不利であり、552年には平壌と漢城を放棄(『三国史記』によれば538年)、さらに554年に新羅との戦で、聖明王が亡くなると新羅軍は勢いづき、562年(もしくは560年)に任那を滅ぼしてしまう。562年には、新羅に討伐軍を送るが、敵の罠にかかってしまい退却する。(『日本書紀』には新羅は白旗を立てて欺いたと書かれている。同年の『三国史記』の新羅本紀にも伽耶が反乱を起こしたため、軍隊を送り、白旗を立てて敵を驚かせたと言う似た記述が見られる。)同年高句麗にも軍を送っている(『三国史記』では554年に似た記述が存在する。)
なお、任那は一つの国ではなく十国が集まった連合であると言う記載が『日本書紀』にある。
ちょうどこのころは、大和朝廷が任那からの影響力を失い、新羅が任那を圧迫しており、百済の弱体化もあり、その勢力を維持できず新羅に勢力圏を明け渡した時期とも考えられる。
欽明天皇は、最後まで任那復興を夢見ながら亡くなったという。
# by syoya44 | 2007-06-02 19:14
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